『獺祭』 と『獺祭忌』

遅々としてわが俳諧や獺祭忌  山口誓子

 2017年8月17日、琉球大学の研究チームがカワウソを発見したと発表。17年2月6日午前4時20分頃、対馬の山林の中に設置された自動撮影装置に、はっきりと動き回るカワウソの姿が撮影されていました。38年前高知県で目撃されて以来目撃情報は無く、2012年に環境省から絶滅したと発表されていましたので、久しぶりに明るいニュースとして大きく取り上げられました。もしかしたらニホンカワウソが生き残っていたのかと思われましたが、今のところ糞の検査の結果ではユーラシアカワウソのようです。しかし、生息しているのは確実なのでとても喜ばしいことだと思います。そんなことで、今回はカワウソが関係している季語を載せてみます。

 俳句では良く似た季語に「獺祭」(だっさい)「獺祭忌」があります。「獺祭」だけだと春の季語ですが「獺祭忌」だと秋の季語になります。獺(かわうそ)だけだと季語にはなりません。

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 では、先ず漢字から見ていきます。獺の字は読むことは出来ても咄嗟には書くことが出来ない、やや難しい漢字です.。以下、【字通】【大辞林】その他インターネットで調べてみました。 

 ダツ かわうそ、声符 らい。 「小狗のごときものなり」「水居して魚を食らう」、「猫のごときもの」。平安時代の『和名抄』には水獣「乎曾ヲソ、「加波乎曾」カハヲソとあり、俗に「加波宇曾」カハウソ、 と書かれているそうです。本来はヲソと言うようですがいつの間にかウソの方が一般に広まっていったようです。カワヲソとは「川に住む恐ろしい獣」と言う意味合いらしい。決して「川で嘘を付いて騙す獣」ではないようです。
 の漢字の意味を調べると、「天を頼りとする獣(けもの)」と書かれています。天を頼りって、どういうこと?動物はみんな天を頼りにしてんじゃないの?と思い頼の字を調べてみる。
頼の字を使った漢字に、獺・瀬・籟・嬾・懶・襰・癩などがある。
「瀬」(ライ、せ・はやせ)山川の流れの急な所。日本では海峡を瀬門(せと)と謂う。水の流れる様を謂う擬声語ではないかと書かれています。瀬戸・瀬田・小瀬などが山の中にある筈ですね。籟(ライ、ふえ・ひびき)は龠(ふえ)なり。大なる者はこれを笙(しょう)と謂い、中なる者は籟(ライ、ふえ)と謂い、小なる者は竹冠に約の字を書く私のパソコンでは出てこない字。葯は草冠ですが上が竹冠の字です。嬾(ラン・おこたる・ものうい)など他の字は見たことの無い漢字です。
 ライ、さいわい・たよる・たのむ 声符は刺(れつ)、「説文」に 「
(アマ)るなり」とし、余分な利益を生ずる意、エイ・ヨウ、あまり・ 「あまるなり」。頼の字系に即して言えば刺(れつ)は光烈の意であるから、もと天より受ける語で賚(らい)と声義が近い。(ライ・たまう・たまもの・ねぎらい)は神よりの恩恵としてたまうもの 
1:さいわい・たまもの・よい 2:たよる・たのむ、3:あまる・とる、4:嬾に通じおこたる、、5:癩に通じ らい、きず。
【古訓】『妙義抄』頼 タノム・ヨル・トル・タヨリ・カウブル・ミタマノフユ・ココロヨシ・サヒワヒ・タノシ。

どうやら「たよる」や「神の恩恵よりたまうもの」あたりが獺の字の意味になったようです。私の勝手な解釈ですが、頼には3のような「余り」とか「取る」という意味があるようなので、古代の中国人が「魚を余るほど上手に獲る獣」と言うので獺の字を作ったと考えられなくもないですね。その方がしっくりするような・・・・??しかし、これはあくまで私の個人的意見ですのでそこんところヨロシク!中国では「水獺」とか「水狗」と書くそうです。ちなみに「海獺」はラッコと読みますが、私の小さい国語辞典には「猟虎ラッコの漢字しか載っていません。
 ラッコは≪哺乳綱・食肉目・イタチ科・カワウソ亜科ラッコ属》 なのでカワウソの仲間のようです。

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       我が家の庭に現れた イタチ君

 獺は獲物を沢山捕えると、それを河原やねぐらに綺麗に並べる習性があり、それを見た古代の中国人が、まるで先祖を祭っているようだと見たらしく、そのような状態を「獺祭」と呼ぶようになった。古く中国では獺を春に見かけることが多かったのか、或いは目出度いと感じたのか「獺祭魚」は早春の時候として、古代より暦の中で七十二候に使われていました。 
 獺祭魚は七十二候の一つ。二十四節気は正月より立春・雨水(うすい)・啓蟄(けいちつ)と進みますが、それぞれ五日づつ初候・次候・末候の三つに分けられ七十二候となります。古代中国の七十二候を少しだけ書いてみると、立春(東風解凍・蟄虫始振・魚上氷)、雨水獺祭魚・鴻雁来・草木萌動)、啓蟄(桃始華・倉庚鳴・鷹化為鳩)となります。立春の次の雨水の初候が獺祭魚です。日本の七十二候では獺祭魚は無く、土脉潤起(つちのしょううるおいおこる)となっていて違っています。二十四節気を三つと七十二候を九つ書いただけで、この中に俳句の季語が沢山あるのに気が付きます。俳句をやっている人なら、「オオオ~ッ、あるある!」と思うはずです。
 そういうことで、俳句では、『獺祭魚』(だっさいぎょ)は初春、早春の時候の季語。傍題に 『獺魚を祭る』(かわうそうおをまつる)『獺祭』・『獺の祭』(おそのまつり)があります。
 では、春の季語『獺祭魚』の俳句を見てみましょう。俳句ではルビを振らないので、獺の字は、カワウソと読むのか、ダツと読むのか、ヲソと読むのかは読者が判断しなければなりません。一般の人は、ちと戸惑うかも知れません。

  獺の祭見て来よ瀬田の奥   芭蕉

「かはうそのまつりみてこよせたのおく」。この句には前書が「膳所へ行く人に」とあるようです。これは、弟子の濱田酒堂さんへ送った句ではないか、と思われているようですがはっきりとは解らないようです。酒堂さんは膳所の人なので「あなたは膳所に行くのだったら、是非瀬田の山奥まで行って、獺の祭を見て来なさいよ!」と言う挨拶句のようです。酒堂さんは膳所の人と言うのは解っていますから、もし前書を書くなら「膳所へ帰る人に」となるのではないかと、ちょっと疑問に思ったり・・・??ところで、現代句にこんな句があります。

  瀬田の奥すなはち宇治や獺祭  金久美智子  
瀬田の奥は宇治ですよと言う本歌取りの句。面白いですね。小倉百人一首の中の八番歌「わが庵(いほ)を都の辰巳しかぞ住む世をうぢ山と人は言うなり」喜撰法師、この和歌を思い浮かべる人もいるかも知れません。

  茶器どもを獺の祭の並べ方  正岡子規

子規の句、獺の祭(おそのまつり)と読むようです。どこかの市なのか、それとも家庭なのか?「茶器ども」と言うのが可笑しいですね。普通茶器は高価なものなのですが、安物が乱雑に並べられているのでしょうか?それで、「もうちょっと、きちんと並べなさいよ!」と言っているような感じがしますし、色々想像できて面白い句。

  獺祭洗濯物を山と積み      高田令子

  馬ヶ原越えうしまろげ獺祭  照れまん

 古代から少し下って唐代の詩人李商隠が「獺祭魚」と号した。机の廻りや部屋の中に多くの書物や辞書を拡げていることから、自分をカワウソになぞらえたのでしょう。ウイキペディアには、「高名な詩人の作品を短冊に書き左右に並べ散らかしながら詩想に耽った為、自分を獺祭魚庵と号した」と書かれています。
これが、大変受けたのか、後に文筆家が書斎に本を積んだり辞書などを開いたままにして、多くの書籍を乱雑にしている状態を言うようになる。また、「文章を書く時に典故の語を並べることや美辞麗句で飾り立てることにも使われだした」?とあるが、これは一つのサイトに書かれているだけなので、一応疑問符としておきます。このようなことから獺祭と言う言葉が広く認知されるようになったようです。

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 正岡子規は明治35年満34歳の若さで亡くなるのですが、二十代後半より寝たきりになり、枕元の手の届く所に沢山の書籍や原稿用紙・筆記具・画具などを置いていた。そこから、自分を獺祭書屋主人(だっさいしょおくしゅじん)と号しました。これにより命日9月19日は後に獺祭忌と呼ばれるようになります。 『子規忌』は別の言い方で『獺祭忌』又は『糸瓜忌』。これは秋の季語になります。

  門葉の乱れもすこし獺祭忌  高浜虚子

門葉(もんよう)とはあまり聞かない言葉。これは、一つの血筋につながる者。同族・一族など。擬似的な血液関係による家臣団の格式を指す。現在では広い意味で一門の流派などにも使われるよう。正岡子規から受け継いだ俳句の世界。子規の弟子ではあっても、色んな考え方の人が出て来ますからね~?

  孫弟子と自らゆるす獺祭忌  楠目橙黄子

楠目橙黄子(くすめとうこうし)、1889年(明治22年)~1940年(昭和15年)。高浜虚子の朝鮮旅行や熊野旅行に同道。仕事の関係で朝鮮の支店長になり、朝鮮日報の俳壇選者を務めた、とあります。

  遅々としてわが俳諧や獺祭忌  山口誓子
最初に掲載した俳句。私の大好きな句。周りからは先生や師匠と呼ばれていても、自分の中ではまだまだ思うようにそこまで道は極められていない。遅々として進まないもどかしさと戒め。謙虚な自分が詠まれています。随分謙遜されているように思いますが私達も身を引き締めなければならないと思う素晴らしい句です。

  思ひ出す人みな遠し獺祭忌  山口青邨

山口青邨氏(1892年~1988年)岩手県出身、山口誓子氏(1901年~1994年)京都府出身。お二人は少しお名前が似ています。どちらも東京帝大卒。青邨氏が工学部で後輩の誓子氏は法学部。1922年虚子を指導者として二人を含む水原秋櫻子や高野素十らと東大俳句会を結成。先輩後輩という同窓生と言うのはいいものですよね。恐らく、虚子先生から子規さんのことなど色々教わったのでしょう。

  うち晴れし淋しさみずや獺祭忌  久保田万太郎

  獺祭忌明治は遠くなりにけり   志賀芥子 
志賀芥子(しがかいし)氏の句を読んだ時、あれっと思いませんか?
  降る雪や明治は遠くなりにけり  中村草田男 
こちらの句はみんな知っています。芥子氏はアマチュア俳人で獺祭忌の句の方が先に詠まれたそうです。一年後くらいに、草田男氏の句が詠まれたようです。先の句を知っていたのか知らなかったのか?私にはどういう関係かは解りませんが、この他に「菊の香や明治は遠くなりにけり  長尾登」などの句もあるようです。そこで思い出したのですが私が俳句を始めて少したった1990年代中頃に詠んだ句。以前、2012年頃、このブログで「朧月」の記事の時に載せた句、
  朧月泣いてかはうそゐなくなり  照れまん
の句が、今回記事を書く為に俳句を調べていて見つけた子規さんの句、
  獺の祭も過ぎぬ朧月  正岡子規 
子規さんにこんな句があるのを知りませんでした。獺と朧月が同じなのでびっくり!!でも、子規さんと同じというのがちょっと嬉しいのですよ。
獺祭書屋主人様、変な句を作って御免なさい。ぺこり(×∪×)!私は獺祭書屋を通り越して、ごみ屋敷主人になっています。

  草の丈のびて人越す子規忌かな  宇佐美魚目

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 ところで、「獺祭」と言えば山口県の銘酒。山口県岩国市周東町の山の中にある五百人程の小さな集落にある小さな酒蔵、旭酒造株式会社が造っているお酒。周東町の古い地名に獺越(おそごえ)と言う場所があり、その地名から一字を取り「獺祭」と命名されたようです。「酒造りは夢創り、拓こう日本酒新時代」をうたい文句に、明治の文学界に革命を起こした正岡子規にあやかる意味合いもあったようです。田舎の小さな潰れそうな酒蔵が一発逆転大躍進。今や幻の銘酒と呼ばれ、日本一売れる酒造メーカーとして有名になっています。日本酒の生産量は35年くらい前の昭和50年をピークに、今は3分の1に落ち込んでいます。そんな中にあって山口県だけはここ数年出荷量・販売額が共に右肩上がりに伸びています。山口県の酒蔵同士が勉強し合い競い合って美味しいお酒を造っています。山口のお酒には「山頭火」「金冠黒松」「毛利公」「五橋」「雁木」他、ワインやブランデーのようなボトルに入った「ドメーヌ貴」や「東洋美人」「Zfive」など素敵なお酒がたくさんあります。是非、山口のお酒を飲んでみて下さい。美味しいですよ!!

 2015年、安倍総理が訪米した折、晩さん会において「獺祭」で乾杯したというニュースが流れていました。その時、オバマ大統領が俳句を詠まれたようです。    
       Spring,green,and friendship
       United States and Japan
       Nagoyaka ni        
                              President Obama
       春 緑と友情 米国と日本 和やかに
Nagoyaka ni の意味は harmonious feeling と付け加えられたようです。(春緑日米きずな和やかに)

いやいやー、これは素晴らしい!! Great!(☆∪☆)。俳句は今や世界に広まりつつありますし、友好や平和に貢献できればこんなに嬉しいことはありません。

 現在日本中の地方都市や町や村が過疎・高齢化に悩んでいます。そんな中にあって、元気のいい企業や個人のお店や農家など地方で頑張っておられる方がたくさんおられます。都会の方には「ふるさと納税」などもありますので、田舎の方にも目を向けて頂き、日本の地方をヨロシクとお願いしたいところです。出来れば、山口県大島郡周防大島町もヨロシク・・・・!!

 ところで、山口県では[NHK山口]のローカルニュースに『キョンサン南道便り』と言う韓国南部のニュースが流れる時間があります。その中で、ある漁港の生け簀の魚が度々盗まれるというニュースをやっていました。それで、漁民は怒り、犯人を捕まえてやると監視カメラを設置したそうです。そしたら、そこに犯人がバッチリと映っていました。それが何とカワウソ君だったのです。韓国でも獺は天然記念物なので捕ってはいけない動物。それで、漁民はカワウソだったら仕方がないかと諦めたそうです。 韓国にはまだ少しだけカワウソが生息している地域があるそうなので、嬉しいですね。
 もし出来ることなら、生け簀を少しづつ日本に近づけて、四国辺りまでおびき寄せることは出来ないものか・・・?なんて思ったのは私だけ??ナンチャッテ、ペコリ(×∪×)!

  絶滅種一つ増やして獺祭忌  となみ

 子規忌・獺祭忌は俳人にとっては、とても重要な日なので、多くの句が詠まれています。今回は獺祭と獺祭忌の僅かな句しか掲載できませんでした。インターネットには沢山載っていますので、是非そちらで御覧下さい。
 大変長くなってしまいました。このあたりで終わりにしますが、この記事は2017年の終わり頃に3分の2くらい書いて止めてしまっていました。今回それを2年ぶりに見直して書き足したり書き直したりしてやっとアップに漕ぎ着けました。私は学者や俳人ではありません。ただの素人ですので、ここに書いてある記事は間違いがあるかも知れません。また、誤字脱字が有れば訂正致します。一応色んな辞書やインターネットで調べてはいるのですが、・・・。そこのところはご容赦願います。

 祝令和 と言うことで、令和元年最初の記事を掲載しました。ではでは・・・・。

獺祭忌遠くかすかに伊予の嶺  照れまん 

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青い鳥 と 雉

裏の梅の木に、見かけぬ美しい小鳥が来ているので撮ってみました。
写真は2019年4月19日に撮ったものです。

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青い鳥です。頭がとても綺麗なブルーです。

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七枚撮ったところで、ちょっと距離があるので近づこうとしたら、すぐに逃げられてしまいました。それで、最後の7枚目を相当にトリミングしてみます。

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ブログ仲間に鳥撮るさんが居るので、名前を教えてくれるでしょう。

追伸:この鳥の名前が オオルリ だと解りました。saganhamaさん 小太郎さん ありがとうございました。

もう一つは、以前撮っていた雉を載せてみます。
どれも部屋の窓から撮ったものです。

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上の写真は 2018年7月18日に撮ったもの。
下の3枚は 2017年6月22日。

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3枚目!下。 ポーズを取ってくれました。

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「雉も鳴かずば撃たれまい」ではないのですが、雉は鳴いてくれるので、すぐ近くに居るのが解ります。すぐにカメラを持って窓を静かに開けます。そ~っと開けるのですが、気付かれて逃げられることもあります。
下の写真は2016年8月24日に撮ったものです。

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雉はいずれも部屋の窓から撮ったものです。こんなに近くに来てくれるのでありがたいですね。

今回は写真だけ、鳥を2種類載せてみました。

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俳句歳時記 「彼岸」

  毎年よ彼岸の入りに寒いのは 正岡子規

 彼岸と言う言葉はよく聞きます。お彼岸・彼岸の入り・彼岸の中日・彼岸参り・彼岸団子・彼岸桜・彼岸花。それから諺では「暑さ寒さも彼岸まで」などなど・・・。

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 では、彼岸ってなあに?と聞かれると、解っているようできちんとは答えにくい。彼岸とは、そもそも仏教用語。古いインドのサンスクリット語の「パーラミター」からきています。これは、パーラムが最高とか完全と言う意味、イターが行くとか至ると言う意味。二つを合わせた、パーラミターで仏教では「迷いの世界から悟りの世界に至る」ことになります。パーラミターを中国語に音訳したものが「波羅密多」(はらみった)。もう一つ、意味で訳したのが「到彼岸」と言うことになります。今我々が住んでいる現世・濁世「此岸」(しがん)から向こうの世界「彼岸に至る」と言うことで「悟りの世界」と言うことになります。これは、本来仏教で使われる言葉ですが、何故か季節や時候の言葉として使われるようになっています。では、何故季節の言葉として使われるようになったのでしょうか?それを知るには、『日本後記』と言う、平安時代初期に嵯峨天皇の命により編纂された勅撰史書、延暦11年(西暦792年)~天長10年(833年)の約42年間の公式記録の中に手掛りがあるようなので、ほんのちょっとだけ抜き出してみます。

 『日本後記』

《卷一逸文(『日本紀略』)延暦十一年(七九二・西暦792年)六月癸巳【十】》癸巳。皇太子久病。卜之祟道天皇爲祟。遣諸陵頭調子王等於淡路國、奉謝其靈。 

《卷一逸文(『類聚國史』二五追號天皇)延暦十一年(七九二)六月庚子【十七】》庚子。勅。去延暦九年、令淡路國充某親王〈祟道天皇〉守冢一烟、兼隨近郡司、專當其事。而不存敬衞、致令有崇。自今以後、冢化置隍、勿使濫穢。

《卷一逸文(『日本紀略』)延暦十一年(七九二)六月乙巳【廿二】》乙巳。雷雨。潦水滂沱。式部省南門爲之倒仆。

《卷十三大同元年(八〇六)三月辛巳【十七】》。・・・略・・・。奉爲崇道天皇。令諸國國分寺僧春秋二仲月別七日。讀金剛般若経。有頃天皇崩於正寢。・・・・以下略・・・。 

 膨大な量がある文書の中、僅か四か所ほど抜き出してみました。たったこれだけなのですが、この中にとっても重要なことが書かれていますので、少し説明してみます。

 西暦781年、奈良の都平城京で天皇に即位された桓武天皇。奈良は仏教勢力が強く、色々煩わしいことがあるので遷都したいと考えます。側近中の側近中納言藤原種継(たねつぐ)さんに相談し、彼を遷都のプロジェクトチームの長官に任命します。種継さんは長岡京の場所を選定し、そこに都の造営を開始します。西暦784年、まだ造営途中でしたが桓武天皇は遷都を強行します。その翌年、都の完成間近に種継さんは暗殺されてしまいます。遷都に反対していた抵抗勢力の仕業だと、数十名の者が捕えられ厳しい処罰を受けます。桓武天皇の弟で皇太子の早良(さわら)親王もその一味だと捕えられ幽閉されます。早良親王は奈良の東大寺で出家した事があるので疑いを掛けられました。早良親王は無実を主張しますが聞き入れられず流刑が決まります。淡路島が流刑の地になり、そこに移送される途中、逝去されたようです。言い伝えでは冤罪を訴え食事を拒否され餓死されたそうです。桓武天皇には三十代後半以降にお生まれになった親王が何人かおられますので、天皇や皇后にすれば我が子を皇太子にしたいという思いはおありだったでしょうから、この事件は都合が良かったかも知れません。我が子を皇太子に立てました。ところが、早良親王の死後不可思議なことが続きます。天皇の妃が亡くなります。今でいう側室のようです。そのすぐ後に、もう一人の妃が亡くなります。翌年に生母が亡くなります。その後夫人の皇后も亡くなり、もう一人妃も亡くなります。たった三年の間に近親者が5人も亡くなります。その後、皇太子に立てた親王が急病になります。更に、大飢饉に見舞われたり、雷雨・大雨洪水により式部省南門が倒壊したと書かれています。たった10年の間に長岡京は二度も水害に見舞われています。これは祟りに違いないと廻りの者は皆畏れます。そこで、又遷都することになります。次は京都に都を移します。平安京は怨霊から都を守るように、ぐるりと神社やお寺が建てられます。そして、亡くなられた早良親王に崇道(すどう)天皇の称号を追称し、諸国の国分寺の僧に春と秋の中ほどに二度七日間金剛般若経を読ませるように命じられたとこのようなことが先ほどの文章に書かれていた箇所です。

 平安時代は末法思想が流布した時代。お釈迦様の死後千年が正法(教えが正しく伝わっている)。その次の千年が像法(形は残っているが教えは廃れている)。そのまた次の千年が末法(形も教えも無くなっている)。[正法・像法・末法の期間に付いては諸説あります]。今は末法の時代に入ったので、世の中が滅ぶか何が起こるか解らないと衆生は不安に駆られていました。平安時代は天変地異が相次ぎ、飢饉・大風(台風)・大雨洪水・地震、その他戦や盗賊などに庶民は苦しめられました。この時代に浄土教思想が広まります。今生は苦しみばかりなのでせめてあの世、極楽浄土に行って幸せになりたいと言うのが庶民の切なる願いになります。阿弥陀如来の持つ世界が西方極楽浄土。春分・秋分の日は真西に太陽が沈みます。あの太陽が沈む向こうに極楽浄土があるのだと言う庶民の思い。それに、先の七日間の供養が結びつき、春分・秋分の日を挟む七日間が彼岸会となり、やがてそれが庶民の間に広まりお彼岸と呼ばれる行事になったのではなかろうか?と言うのが一つの有力な説です。
 こういう物には必ず諸説ありますと言うことなのですが、民俗学を研究しておられる学者さんは、これは、もっと古い大和民族の習俗からきているものだと言う説を唱えておられます。ただ、春と秋の二度、しかも七日間も行うなど、中々説明の付かないところがありますし、資料と言うようなものは何もないのが難しいところです。それで、先に述べた説が資料的にも大変有力と言うことのようです。

 彼岸の中日は年や時代によって多少動いていたようなのですが、江戸時代天保14年(西暦1844年)彼岸の中日を春分・秋分の日とし、前後三日間づつ七日間とすると正式に定められたようです。

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 さて俳句にいきますが「彼岸」は春の季語。基本季語として大きな季語。彼岸だけだと時候の季語になりますが、色んな季語を含みます。傍題に、彼岸会・万燈日・入り彼岸・さき彼岸・初手(そて)彼岸・中日・彼岸参・終い彼岸・彼岸ばらい・彼岸寺・彼岸太郎・彼岸団子・彼岸講・彼岸前・彼岸過・彼岸舟・彼岸道・彼岸姿、などがあります。
 まず、江戸時代の俳句を見てみましょう。

  何迷ふ彼岸の入り日人だかり  鬼貫
 
上島鬼貫(1661年~1783年)江戸中期の俳諧師。伊丹郷の酒造業者の三男に生まれる。後に「東の芭蕉、西の鬼貫」と称されたらしい。芭蕉より約17歳年下。現代の俳人に人気の高い俳人。

  曇りしが降らで彼岸の夕日影  其角

  命婦よりぼた餅たばす彼岸かな 蕪村   
 命婦(みょうぶ)とはあまり聞かない言葉。調べてみると、1:古い律令制で五位以上の女官を内命婦(ないみょうぶ・うちのみょうぶ)・五位以上の官人の妻を外命婦(げみょうぶ・げのみょうぶ)。2:平安中期以降中級の女官や中臈(ちゅうろう)の女房の称。3:中世稲荷明神の使いとされる狐の異称、と書かれている。「たばす」とは、動詞「賜ぶ(たぶ)」の未然形+尊敬の助動詞「す」。ここから察すると、宮仕えされているやんごとなき奥方よりぼた餅を頂いたと言うようなことでしょうか?

  我村はぽたぽた雪のひがんかな  一茶

 明治以降の俳句を見てみます。冒頭に載せた子規の俳句。

前書「母の詞(ことば)自ら句となりて
  
毎年よ彼岸の入りに寒いのは  正岡子規 
 「そうそう、解る解る」とついつい思ってしまう句。この句には前書が書かれているのですね。お母様のつぶやきがそのまま句になっている。親子の会話が想像されて面白い。もうすっかり伊予訛は消えていたようです。俳句とは難しいことを書くのではなく、このように思わず口をついて出た言葉が句になるものです。口語俳句も楽しいですね。明治期にこのような口語で作られているので、当時としてはぶっ飛んだ俳句だったのではないでしょうか?

  山寺の扉に雲遊ぶ彼岸かな  飯田蛇笏

  竹の芽も茜さしたる彼岸かな  芥川龍之介

  輪を描いてつきゆく杖や彼岸婆  河野静雲
 河野静雲(こうのせいうん)、1887年(明治20年)~1974年、時宗の僧。福岡県太宰府に花鳥山仏心寺を創建。高浜虚子に師事。俳誌『冬野』主宰。彼岸会にお参りをされたお婆さんが帰っているところでしょうか。少し腰は曲がっているがまだまだ元気なので、杖を後ろ手に持ち歩いて帰っているのでしょう。その杖が左右に揺れているのが、輪を描いて付いて行っていると言うのがユーモラスで面白いですね。

 現代の俳句も見てみます。

  夕日いま眉にとどまる彼岸かな  岡本眸
 1929年1月6日生まれ~2018年9月15日没。とても品のある素晴らしい俳人でした。美しい夕日に眸氏の優しい眉が思い出されます。私はテレビや写真でしか拝見したことはないのですが、とても素敵な方でした。[温めるも冷ますも息や日々の冬  岡本眸] これは私の大好きな句です。

  目瞑ればふるさとの景彼岸潮  愛知県岡崎市 山田草風
2017年HAIKU日本 春の句大賞金賞句。

  彼岸桜どちらにまわりても鎖  谷さやン
俳号が変わっていますね。「さやン」とは本名が「明子」で(さやこ)と読むようです。さやこと平仮名書きしていたのでしょう。ところが、どなたかが間違って「さやン」さんと誤読した。それは面白いとそこから俳号にされたようです。彼女の句集は「谷さやん」となっています。夏井いつき氏黒田杏子氏に師事。
「彼岸」は春の時候の季語ですが「彼岸桜」は植物の季語。とても面白い句なので載せてみました。一読して「その通り」と思わず納得してしまいます。桜の木の根っこが踏み固められて息が出来なくならないように鎖で囲って守っている。それから、酔った人がおしっこをしないようにもね・・・。

  彼岸桜条里見下ろす古墳群  照れまん

「彼岸桜」は春の季語ですが、「彼岸花」は秋の季語になります。それで、一句。

  往く雲を見送るばかり彼岸花  照れまん、
以前にも載せたことがあるのですが、数年前に母が亡くなった時に詠んだものです。
 それから、秋の彼岸は、俳句では「秋彼岸」と書きます。

 彼岸に戻って、もう一つ拙句を・・・・。

  彼岸寺終着始発絹の道  照れまん

 この私の俳句を見た写真班が「この辺りは昔、養蚕が盛んだったけど、絹の道ってどこの道のことを言うん?」と聞くので、「これはシルクロードのことよね。正倉院よねえ」と言うと、「エー!うそーホント!信じられん。俳句ってさっぱりワカランねえ?」と言う。「別に正倉院でなくても、普通のお寺でもいいよ。仏教はシルクロードを通りインドから中国を経て日本に来たじゃろう。末寺が終着点じゃけど、お寺はそこから色々文化の発信地にもなった。じゃから始発駅でもあるのよね」と言うと、「ナルホド~!」と感心している。「俳句を説明せんと解ってもらえんかったら、駄目句と言うことじゃし、俳人とは言えんよね。エセ俳人じゃけえね。まあ今は廃人じゃけどね!」と言うと、二人で顔を見合わせて笑った。(★∪×)

この記事は、3年以上前に書いていましたが具合が悪くなり、入退院を繰り返したりして俳句もブログも止めってしまっていたのでそのままになっていました。最近は少し体調もいいし散歩も出来るようになってきたので、ブログの下書きを眺めたりしてました。久し振りに見る自分の俳句も文章も下手ですね。恥ずかしくなってしまいます。この記事は自分の知識ではないし、色んなサイトを参考にしコピペさせて頂いたものなのでこのまま没にしようかと思ったのですが、もったいないような気もするし、思い切ってアップすることにしました。何度か読み返し、文章や誤字脱字を直したりして、やっとアップに漕ぎ着けました。
 私は学者でも俳人でもないただの俳句愛好者なので、ここには間違いもあろうかと思います。ですから、そこのところはご容赦願います。読み流して下さい。間違いがあれば書き直しますので、そこんところヨロシク・・・。

  部屋隅に母の衣桁や入彼岸  照れまん

カテゴリー: 行事・生活, 俳句, 俳句・生活, 俳句・天文 | 11件のコメント

まだまだ療養中

ところどころ若木に代はり花の道      照れまん

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銀舎利や死が近づけば花眩し  照れまん

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余韻余白余生余命予後余寒      照れまん

ペロリ

安心して下さい、何とか息をしておりますよ!!

コメント頂いてもご返事できないと思います。そこのところよろしくお願い申し上げますm(__)m

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只今冬眠中

体調がイマイチ良くないため、暫くお休みしています。

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 冬眠中と思っていたら、いつの間にか白梅が咲き、紅梅も咲いてしまいました。もう春ですねえ・・・・!

   Tea bag の紐湯に巻き込まれ春に入る   照れまん

ナンチャッテ!!
 最近は殆ど俳句も作っていなくって・・・。珠にはブログに記事や俳句をアップしないと、と思っているのですが・・・。
 調子がよくなりましたら、また再開しますので、宜しくお願いします。

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2015年 迎春

明けまして おめでとう ございます

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旧年中は 色々お世話になりました

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花瓶も水引で飾られ 正月らしくなっています

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あっという間に 午(うま)年 から 未(ひつじ)年 になってしまいました

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今年も皆様が良い年になりますように

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本年も どうぞ宜しく お願い 申し上げます

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古道・往還道をハイキングしませんか?

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2014年10月26日、山口県大島郡周防大島町の一つの村から隣の村へ、村を上げてのハイキング大会が行われました。
何故か、初めに
安全を祈っての神事。

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その後、何故か 餅まきも行われました。
田舎では何かがあると、餅まきををします。

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上の写真、左上の奥の山の窪みの尾根を越えて行きます。
午前9時半頃、いよいよ峠越えのハイキングに出発。山口県の岩国市や徳山市など遠方からも、およそ110人が参加してくれたようです。

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登山道入り口に大きな看板が掲げてあり、ここでハイキングコースの道順や注意点などが説明されています。

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看板を見てみましょう。こんな感じです。

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上の写真、左下の集落の海岸部分から右横の集落まで、直線距離だと約2キロ、高低差は約250m、体感距離では片道約4キロ弱の行程になります。
地図の上部には、昔の人が手書きで書き残した道順や色んな目印や岩の呼び名などが記されたものを大きくして載せています。

外入旧跡は、とのにゅう と言う集落の名前。地家室じかむろ が隣の村の名前。それで、外入・地家室 往還道と呼ばれています。
いよいよ登り始めました。

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うっそうと雑木が生えています。

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昔はこんなに雑木はありませんでした。見晴らしがよかったのに、今は鬱そうとしています。

すぐに、牡丹岩 と言うのがあります。

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岩の写真を撮ってみるとこんな感じです。

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やっと、夕日の見える丘に到着。

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ここが、「夕日の見える丘」です。前回の記事の写真は、ここから後日撮ったものでした。その写真をもう一度・・・!

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このあたりに、新しく出来た農道があり、往還道と交差しています。その横に「夕日の見える丘」が作られました。

農道が出来て、車では簡単に峠を越えて隣村に行くことが出来るようになりました。海岸の岬を回る道路はあるのですが、距離的にかなり遠回りになるので、この農道を使う人は多いのです。農道から往還道はもう少し高く登ります。

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ここからは細い登り道になります。

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昔の人が細い道では歩きにくいので、石畳や石の階段を作って大きく歩きやすい山道にしたのでしょう。それで、往還道と呼ばれるようになったようです。大変な労力だったでしょうね。

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上の写真は、いぼ神様 という岩があり、それを見ているところ。

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岩がぱっくりと割れていて、この岩を拝んで小銭を割れ目の上に入れると、イボが取れると言われていたようです。

次は女郎の腰掛石。

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(18)は 「女郎の腰掛」と呼ばれる岩。一人が腰かけていますね。昔 隣の村には遊郭がありましたので、そこに娘が売られていったのでしょう。娘が峠の岩に腰を下ろして休んだのでしょうか?今では女郎と言う言葉は使ってはいけないのでしょう。女郎蜘蛛に使うくらいでしょうか。

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このもう少し上が峠の一番高いところにあり、昔は「峠の茶屋」がありました。

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上の写真が「夕日の見える丘」よりもう少し高い峠のあたりで後日撮ったものです。
この後は、下り坂になります。
峠を越えて、下り始めました。

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下の写真は、村に降りる途中の畑。フジバカマの花とアサギマダラの蝶に出迎えられました。沢山の蝶が飛んでいましたので、皆さん蝶の写真を撮っています。
蝶の写真は又の機会に・・・。

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隣の 地家室(じかむろ)村 の海岸に到着。

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村はずれに、村の墓地があります。峠に 女郎の腰掛 と言うのがありましたので、ここに昔の女郎だった人の墓がありますので、そこにお参りをして・・・。
その後、それぞれがそれぞれの場所でお弁当タイム。

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次の写真は、隣村の 地家室(じかむろ) と言う集落。

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 ちょっと話は逸れるのですが、Mr, Robert Matui ロバート・マツイ氏 と言う方をご存じでしょうか。日本ではあまり知られていないかも知れませんが、米国下院議員を26年間勤められた方。アメリカ生まれのアメリカ育ちの日系三世、民主党カリフォルニア州選出下院議員。松井氏は隣村の地家室(じかむろ)出身の方の孫になります。松井家は今でも続いてをり、昔は広くこのあたりのいくつかの村を束ねる大庄屋でした。庄屋の息子と言っても3番目や4番目の子は集落が小さいので土地がありません。それで、息子の一人が明治時代の中頃、アメリカに渡りました。カリフォルニアで日本人どうしで結婚をし子が産まれ、そして孫が出来ました。その孫がRobert Matui氏です。子供の頃、太平洋戦争で強制収容所に入れられたりして苦労しておられます。その後苦学して、下院議員になられ、日系人の人権の復権に尽力されました。Matui氏は2005年に亡くなられました。Matui氏のルーツはこの村です。

さて、このあたりで、最後の写真にします。最後は アサギマダラの写真にします。

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来年のハイキング大会は、この峠の一番高い山の「白木山」標高377mの頂上まで登ってみようか?など、色々な案が考えられているようです。お近くの方は是非御参加下さい。

そういうことで、瀬戸内の小さな村の、ハイキング大会を載せてみました。
今回の写真は、1枚目だけが私の撮った写真で、あとはすべて写真班の撮った写真でした。
では、また、ヨロシク・・・・★

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往還道 夕日の見える丘

山口県大島郡にある、「夕日の見える丘」より撮影。

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昔、往還道(おうかんどう)と呼ばれる村から村へ峠を越えて歩いていた道がありました。私が中学生の頃、隣村の同級生は歩いて山を越えて学校に通って来ていました。その道もいつしか誰も歩くことは無くなり、雑木と草ぼうぼうの誰も歩けない雑木林となってしまっていました。それを、数年かけて村の人達が木を伐り竹を伐り草を刈って道が歩けるように。そして、海や風景が見えなくなっていた峠の雑木も伐り、景色が見えるようにしました。瀬戸内の景色の見えなかった雑木林に、昔のように夕日の見える場所を作りました。そこを「夕日の見える丘」と名付けてベンチなどを設置。

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私は殆ど一年中寝たり起きたりの生活をしているので、とても行くことは出来ません。

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そこで、写真班が私のカメラを持って撮りに行って くれました。
写真班はCanon 5D のカメラを持っているのですが、私のカメラを持って・・・。
私のは NikonD5100 なので勝手が違って撮り難かったようです。三脚を据えて、設定をいろいろ変えながら、相当頑張って撮ってくれました。

次の写真は、殆ど太陽が沈んだところです。穏やかなので湖みたいに見えます。

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写真班のイチオシの写真はどれだったか忘れてしまいました。
そこで、私の選んだ一枚を最後に載せてみます。

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この往還道を歩こうというハイキング大会が秋に行われました。その記事はまた書きますので、今回は 夕日 だけで失礼ます。

  往還道往時をしのぶ秋入日  照れまん

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照れまん君の「コエビソウとシャコバサボテン」

今回は 海老(エビ) と 蝦蛄(シャコ) という、海の動物の名前が付いている花を載せてみます。

先ずは、 「 コエビソウ 」

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キク類・シソ目・キツネノマゴ属 コエビソウ 

学名 : Justicia  brandegeane  
サイトによっては 学名 :Beloperone qutatta と書かれたものもありますが、これはシノニム(同物異名)のようです 

和名 : コエビソウ 小海老草  
別名 : ベロペロネ  サイトによっては「ペロペロネ」と書かれたものもありますが、正しくは Beroperone で「ベロペロネ」。ギリシャ語で ベロスが「矢」 で ペロネが「帯」 と書かれています。「矢の止め金」と書かれたサイトもありますので、矢のように尖って、帯のような止め金のような鱗状の苞のある花、と思えばいいでしょうか?

英名では Beroperone  と Shrimp plant  が書かれています。

メキシコ原産

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色違いで、ライトグリーンの物は、イエロ-クイーン と言う品種のようです。

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花期は春から秋(6月~11月)にかけてと長いようです。

日本の雑草 「キツネノマゴ」 と同属だそうです。

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形が 海老の胴体や尻尾に似ているから小海老草。これは、苞と呼ばれる赤褐色の葉が重なっている形から。私は名前を知らない時、フォルダには、「ヘビのうろこに似た花」と書いていましたが、少し外れでした。園芸店では「ベロペロネ」と書かれている事もあるようです。
以上が コエビソウ でした。

続いて、海老に似た、蝦蛄 シャコ が名前に付いているもの。

「 シャコバサボテン 」

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よく見るのだけど、名前は知らなかった。シャコバサボテン と言うのですね。

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サボテン科・カニバサボテン属(シュルムベルグラ属) シャコバサボテン

学名 : Zygocactus truncatus

和名 : シャコバサボテン  蝦蛄葉仙人掌 
別名 : クリスマスカクタス、デンマークカクタス、カニバサボテン
    これはクリスマスの頃に咲くからと デンマークで品種改良されたから 
英名 : Holiday Cactus

ブラジル原産   山の樹木や岩に自生

標高の高い所に咲く丸い葉の カニバサボテン と 標高の低いところに自生する葉の尖ったシャコバサボテンが交配され、交配種はすべて シャコバサボテンと呼ばれるそうです。

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私の持っている『日本大歳時記』には、「小海老草」 は載っていませんが、「蝦蛄葉仙人掌」 は載っています。

俳句では、「蝦蛄葉仙人掌」(しゃこばさぼてん) は冬の季語 
傍題に「蝦蛄仙人掌」(しゃこさぼてん)・「クリスマスカクタス」があります。 
歳時記に、多年生多肉植物。明治初年に日本に渡来、と書かれていて、例句がたった一句載っていますので、載せてみます。

  しやこさぼてん繚乱と垂れ年暮るる   富安風生

撩乱 りょうらん 入り乱れること、花が沢山咲き乱れているようす。百花繚乱などと使われる。掲句は大きな鉢に蝦蛄葉仙人掌が咲き乱れているのでしょう。

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歳時記には「コエビソウ」は載っていませんが、夏の季語がいいのではないかと思います。そこで、俳句を作ってみました。それと、シャコバサボテンの句も作ってみました。

  小海老草おろちの子供出づる如     照れまん

  マネキンの足元に蝦蛄葉仙人掌     照れまん

今回は、寿司ネタに使われる海老と蝦蛄が名前に使われている植物。全く関係の無い二種類の植物ですが、名前がちょっと似ているので、一緒に載せてみました。

ではでは、また・・・・。

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2014年冬 来ました ムラサキツバメの越冬隊

ムラサキツバメが毎年庭に越冬に来てくれるので、今年も楽しみに待っていました。

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11月半ば頃にはまだ暖かくて、一匹のムラサキツバメも居ず。
12月に入り急に寒くなったので、もう一度庭の中を探してみた。

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居ました居ました。 ムラサキツバメ の越冬隊です。

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、全部で 12頭 が固まっています。

チョウ目・アゲハチョウ上科・シジミチョウ科・ミドリシジミ亜科・ムラサキシジミ族・ムラサキシジミ属  ムラサキツバメ

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、何故だか、昨年の場所と殆ど同じ所。まさか、去年と同じ蝶と言うことはないですよね。もう世代が代わっているはずなのに、不思議です!!

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今回は、ムラサキツバメ が越冬に来てくれた、と言う報告だけです。来年の3月くらいまでは居てくれると思いますので、また載せますので、ヨロシク。

以前、沢山ムラサキツバメを載せたことが御座います。その中から2012年のものを一つ。
 「ムラサキツバメ」 ← こちらを御覧下さい。

ではこういうことで、又・・・・。

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