東風吹かば  ②

                  
                                                     菅原道真の 改革 (その2)
 
        さて、菅原道真の続きですが、どこまで書いてましたっけ? 
       そうそう、讃岐の国から帰ってきたところでしたよね。
       改革のスーパエースとして、登場するところです。
 
        菅原道真が京都に帰ってきた翌年、いよいよ政治家デビューです。
       この年47歳(数え)になってました。
 
               西暦891年、  3月9日。 式部少輔。
                           3月29日。 蔵人頭 (現在で言えば、天皇の秘書官長
                          4月11日。 左中弁を兼ね早くも公卿。 (閣僚の仲間入り
                  892年、  1月7日。  従四位下の冠位が与えられる。
                          12月5日。  左京太夫を兼ねる。
                                          893年、  参議、式部大輔を兼ねる。 (参議は今で言う国務大臣
 
        これを見て解るように、ものすごい出世ですよね。
       あれよあれよと言う間に、どんどん出世して昇っていきます。
        宇多天皇がどれほど期待し寵愛していたかが良く解ります。
        何かにつけても、「道真を呼べ」と言い、彼に相談するのです。
        道真は頭脳明晰、ピシャリと答えが返ってきます。それが、理路整然としていて、
       実に的確。それに、彼はとても忠実。そして何よりも公正なのです。
        貴族の閨閥しがらみがないのです。
       それで益々天皇は道真を近付け、彼にだけ相談するようなことも度々起きてきます。
        天皇にとっては、それまで牛耳ってきた藤原氏に、思うところがあるのです。
 
        こうなると面白くないのは反対派。
        何としても、道真を追い落とさなければ枕を高くして寝られません。
 
        894年、参議兼左代弁(官房長官)。
        ここで突然事件が起きます。反対派が道真を遣唐使の長に祭り上げてしまいます。
        突然、遣唐大使に任命され閣議決定、天皇の裁決も仰ぎ、決定されてしまいます。
       道真が遣唐使の団長にさせられてしまったのです。
        反対派はしてやったりです。
 
        「そんなに中国語が得意なら、中国に行って来い」と言うわけです。
        「玄界灘に行って、おのれの限界を知れ!」
        「海のもずくになってしまえ!」 いやいや、「海の藻屑となってしまえ」ってな感じ・・・です。
       この頃、遣唐使船はとても危険で、10隻のうち6隻は沈んでしまう、と言うほど危険な
       航海だったのです。
 
        これは、「こまったこまった、こまどりしまい」、です。
        「やられたー」と言う感じです。
        でも時間的余裕があります。今すぐの話ではないですからね。
        船を建造したり、準備に相当な時間がかかります。 
        そのあと暫く様子を見ていた道真は、こっそりと天皇のもとを訪れます。
       そして、遣唐使を派遣する非を説きます。
 
        まず、唐の力が落ちていて、今行っても得るものが少ないこと。
       それに船の建造や貢物に莫大なお金が掛かること。
       そんなお金があるなら、洪水の為の治水旱魃の為の灌漑施設を作ったり、
       橋を架けたりする方が民は喜び、帝の治世を喜ぶでしょう、と奏上します。
 
        宇多天皇も「なるほど」と納得します。
        そして、奏上から2週間後、宇多天皇が「遣唐使船は検討しませ~ん」と・・・・。
 
                   (うわー、ひどい駄洒落)
  
        遣唐使の中止が発表されます。
        それを聞いた反対派。
       「なんでやねーん。見当違いや内科医。宇多ちゃん、どないなってんねん?」と、
       聞くと、天皇は「扁桃腺~~!」 こらこら「返答せーん」 でしょう。
        反対派は 臍を噛むしかありません。宮中の女官に藤原氏の間者・スパイが何人も
       居ますので問いただした所、道真が天皇のもとを訪れ、遣唐使の廃止を直訴したこと
       が判明します。
        「チクショー、やられたー!この次はただではすまさんぞ。息の根をとめてやるー!」
       ですよね。
 
           西暦895年、道真51歳、中納言になります
              896年、民部卿。これは大蔵大臣に当たります。
 
        これ以前に、すで道真は改革の為のプロジェクトチームを作っていました。
       菅家廊下を卒業した道真の弟子達が沢山上級公務員になっており、その中でも特に優秀な
       人材を集め、連日連夜何をどうすれば世の中が良くなるか、財政赤字はどうすれば改善され
       るか議論を重ねていました。
        そして民部卿になって以後、改革の準備段階を実践し始めました。
        抵抗勢力にとっては今まで道真が何をしようとしているか、全く知らされていませんでした。
       ここでようやくベールを脱ぎ始めたわけです。
        この頃、菅家廊下を出た優秀な人たちが高級官僚の中の半分を占めるほどになり、
       菅原派という一大派閥が出来上がっていました。
        小泉チルドレンどころではありません。専門家のプロ集団ですから。
 
        今まで朝廷を牛耳ってきた藤原氏や橘氏、源氏など、脅威を感じてきました。
       これは何とかしなければ、まずいことになってきたぞと言う感じです。
        そこで、抵抗勢力が結集します。
 
           897年、6月19日。 従三位権大納言 兼 右大将。
             同年、7月3日。  宇多天皇が 31歳の若さで譲位し、
                         皇太子の敦仁親王が醍醐天皇に即位します。まだ13歳です。
           899年、       道真はついに、右大臣右大将と言うNO.2にまで
                      上り詰めます
                                 改革を行なう丞相になります。
 
        では、ここでちょっと、右大臣と言うのがどの位の地位なのか、現在の日本人と
       経済力で比べてみたいと思います。
 
        現在のお金持ちの代表として、プロ野球大りーガーのイチロー選手を選んでみます。
        彼は年俸10億円を越す、ものすごい高給取り。日本では有数の稼ぎ頭です。
       彼がどのくらい、お手伝いさんを雇えるかを考えてみます。
 
        まず、愛知県に両親の住む実家があります。ここに一人のお手伝いさんを雇います。
       そして、もし神戸に自宅があれば、ここに管理人を一人雇います。
       そして、シアトルの、今住んでいる家にお手伝いさん一人、マネージャー兼運転手を一人。
       そして、ボディーガードを一人。まあ、ざっと考えてみるとこれぐらいでしょうか。
       5人か6人、多くても10人くらいでしょう。
        日本の大会社の社長と言えども、お手伝いさんは4人か5人がせいぜいでしょう。
       それに会社の社員を、おかかえ運転手にして使うくらいなもんですよね。
       自分ではお金は出しません。「釣りバカ日誌」の すーさんち、 です。
 
        現在の日本で、自分でお金を出して、使用人を五・六人雇っているようなお金持ちの
       家は、とても少ないでしょう。
 
        菅原道真の家ではどうでしょう。どのくらい使用人を雇っていたのでしょうか?
       お手伝いさんや下働きの人、上働きの人を少なく見積っても、ざっと50人くらいは居た
       と考えられます。多ければ100人くらいは居ただろうと考えられています。
        「う・・・う・・う・、うっそーーーっ!」  「シ・ン・ジ・ラ・レ・ナーイ!」 ですよね。
       想像してみて下さい。イチロー選手の家で、毎日三食、50人~100人が食事
       している所を・・・。考えただけで、頭が痛くなりませんか?まるで、学校給食です。
        それでは、お金がいくらあっても貯まりません。
       いくら考えても、それはちょっとオーバーじゃないのと思いますがどうでしょう。
       昼間は菅家廊下の塾生もいましたので、100人くらいで食事をしていただろうと
       思われます。
        塾生はお弁当を持って来たかどうか、そこまでは、歴史書には書いてありません。
       彼らは受講料は払っています。
 
        では、ここで菅原道真のプライベートをちょっと覗いてみます。
        道真には子供が何人いたでしょうか?皆さん御存知ですか。
       伝えられているところでは、23人です。はっきり名前が解っている子供だけで14人います。
       これって、一人の奥さんで生まれたのでしょうか?
        歴史上では、宣来子(のぶきこ)さんと言う正室以外は、全く知られていません。
      でも、1人で23人生めるかな?とちょっと疑問です。本当は何人,、子供がいたのでしょうか。
      16人までは確かなようですが、それ以上の人数は正確には解かっていません。
 
 
        ちょっとわたくし事ですが、私の祖父は12人兄弟。1人の奥さんで生まれています。
       随って、14人くらいだった産めるでしょうね。でも、23人はねえ~~。
       ちなみに、我が家のひい爺さんは、名前を付けるのが大変だったみたいで、
       女の子八人姉妹の末の7番目と8番目は、七つ、八つという名前でした。
       もう、面倒だったのでしょう。
 
 
        菅原道真は15歳で結婚しています。相手はまだ10歳の少女です。
       この年齢は、数えですよ。当時は通い婚なので、女の子の家へ夜、お泊りに行くわけです。
       もし、子供が早くから生まれたとしたら、23人産んだかも知れませんね。
       でも、一番働き盛りの40代、讃岐の国に行っています。
        第二夫人が居たか、第三夫人まで居たかは不明です。
        道真が50歳になった頃には、子供も30代、20代が沢山いますので、それぞれに
       使用人が付き、奥さんの所には、まだ幼い子供が7~8人はいたでしょうから、
       奥さんの方にも使用人は10人くらいは必要でしょうね。
 
        第一邸が約4360坪第二邸がおよそ2300坪それに夫人の館
       その他に別邸もあります。御所には馬に乗って通っていたと言われていますので、
       馬番も必要です。そう考えると、やっぱり使用人は50人は必要ですよね。
       50人では足りなさそう。やっぱり、100人は必要でしょうか??
 
        現在とは労働賃金が違いますからね。御飯だけで、いくらでも働いてくれる身分の低い
       人達がいましたから・・・。
        一家族全員が住み込みの使用人になっている場合もありますので・・・・。
       今とは比べることは難しいですが、右大臣ともなれば、50人100人くらいは十分、
       御飯を食べさせることが出来たということです。
        平安時代の上流貴族の生活がいかに権力があったか、どれほど経済的に豊かだったか、
       お手伝いさんと言う経済面から、少しは解っていただけたでしょうか?
 
        また、猛烈に長くなってしまいました。今回もとうとう、  東風吹かば~、  
       まで到達しませんでした。ゴメンナサイ。  ペ コ り ☆
 
        今7月14日、午後3時。台風4号が近づいてきているので、大雨。風も少し吹き始めました。
       家族のものが、「雨戸をしめなさーい」と、おらんで(叫んで)いるので、今日はこれくらいに
       しておきます。  
        続きはまた書きますので、その時には、よ・ろ・し・く。
                            
        追伸。
        7月15日。今朝のスポーツニュースを見ていたら、イチロー選手、来年から5年契約で
       110億円と報じていた。年俸はおよそ22億円だそうです。
 
        今丁度、万年筆のインクが切れていて・・・・・。
        1瓶でいいのでイチローさん買ってくれないかなあ・・・・・?
        「エッ、無理!」  無理だろうな・・・・・・。
        じゃあ、また・・・・。          
                                                    常痔・照れまん
 
 
 
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東風吹かば  ② への7件のフィードバック

  1. fujim より:

    照れまんさん  面白いですねー。何がって歴史の話ですよ。 歴史上の人物のことをこんなに噛み砕いて頭に入れてる人を見ると、ホント尊敬します。 どこかに旅行する度に私は、「あー、もう少し歴史が頭に入ってたらもっと旅が面白くなったに違いない」と悔やんでるんですよ。ハハーと周りの人からかしずかれる人になるには、それだけのものを多かれオオかれ(?誰かさんがうつってしまった!)持ってたということですねぇ。歴史書に書かれていることをこれだけ膨らませて書けるのは、照れまんさんが見てきたから書けることですよね~(★_☆)! マチガイない!ますます面白いので、当分、東風吹かば~にたどり着かなくていいですよ~ 次を待ってま~す。22億円って? エーッとここに並べると、、、いや、浴槽に何倍分? どうやったら量が分かるかもわからん。
    でもインク一ビン買ってもらえない量なんですね。などとこんなことを話題にしてるところを見ると、台風は大丈夫だったようですね? 暴風圏内には入ってたんじゃないですか? おーこんなことに!というところがあったら写真写真(^0^o*)!

  2. Pu'uwai より:

    こんにちは
    台風も何事もなく無事通過しました。 皆さんのところも被害もなかったみたいでよかったです。
    奥さんと妻とお母さんとお手伝いさんにヘルパーさん、うう~ん、一人で50人分の働きですか?
    これはちょっと荷が重い・・・・・出世してもらわないと。 阿寒(^┰^;)ゞベー
     
    台風の目をお借りして記事を読む   プウバイ
     

  3. 照れまん より:

        Pu`waiさん こんばんは
    きょうは昼から、NHK・FM でハワイアンざんまい。所どころ、ちょこっとづつ聞いてました。
    ウクレレの島袋さんて言いましたっけ?猛烈に上手い人。あの人の演奏を聞きたかったのに、きっちり聴き逃しました。
    それから、すごく遅いんですけど、私 子供の頃、2~3回ウルシにカブレタ事があります。両腕に白い薬をべたべた塗られて包帯を巻かれ、せっかくの夏休みに、暫く海で泳げなかったことがあります。あの薬、ちっとも効かなかったような気がします。あれからですからねえ・・・。今は良い薬が出てるはずですけど、やっぱり自然にはなかなか勝てないのでしょうか?
    台風、良かったですね。ではまた・・・・・。
         神風さん呼んだときだけ来てちょうだい               照れまん

  4. 照れまん より:

         Fujimさん こんばんは
    私の祖父の兄弟は12人と書きましたが、そのうち女八人のうち「七つさん」と「八つ」さんは、防府と三田尻に嫁いでました。
    私が高校の時、夏休みに、七つさんちに泊めてもらい、小郡の芸短の講習会に通ってました。
    山口線は懐かしいです。ではまた・・・・。
     
           異国より青い目をした台風来               照れまん

  5. yasuko より:

    おはようございます! 今回もあまり話は進まなかったですね! でも、面白い! おまけに駄洒落も満載。
    「玄界灘で限界を知る」「海のもずく」「遣唐使を検討」「見当違いや内科医!」「返答せーん」 恐れ入ります・・
     

  6. Pu'uwai より:

    こんにちは
    離心円さん、おかしいですよね。
    本文より駄洒落の方が頭の残って、、、、、 やっぱ、ピーマンばかり食べてるとピーマン頭になるのかしら?
     
    うるしかぶれはステロイドでばっちり、でも2週間かかりました。
    白い塗り薬は昔ならチンク油でしょう。今もありますよ。古典的な効かない薬の代表みたいです。

  7. fujim より:

    離心円さん、Pu\’uwaiさん歴史の話をしてるのに駄洒落の方を面白がっちゃイカンと思って、私は我慢して、読んで大笑いしてるのがバレない様に一所懸命大真面目?に書いてるのに、駄洒落のことでそんなにおおっぴらに笑って、いいんですかー~? ^m^クククッ照れまんさんやっぱり言ってしまいますが、私の母も12人兄弟ですー。 私の出生地は三田尻ですー。伯父さんも三田尻(塩田近く?)に住んでいましたー。 親戚!?とビックリしましたよw、フー。でも落ち着いて考えてみたら、うち男性8人で、女性の名前は「八○、玉○、静○、花○」もうちょっとで親戚でしたね~^^  親戚うちに「北海道」の文字が絡んでくると、もっと近くなるところだったんですがね~^^ 遠来の客通り過ぎムスビ食う(うーん?)      ふじ

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