俳句歳時記 「彼岸」

  毎年よ彼岸の入りに寒いのは 正岡子規

 彼岸と言う言葉はよく聞きます。お彼岸・彼岸の入り・彼岸の中日・彼岸参り・彼岸団子・彼岸桜・彼岸花。それから諺では「暑さ寒さも彼岸まで」などなど・・・。

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 では、彼岸ってなあに?と聞かれると、解っているようできちんとは答えにくい。彼岸とは、そもそも仏教用語。古いインドのサンスクリット語の「パーラミター」からきています。これは、パーラムが最高とか完全と言う意味、イターが行くとか至ると言う意味。二つを合わせた、パーラミターで仏教では「迷いの世界から悟りの世界に至る」ことになります。パーラミターを中国語に音訳したものが「波羅密多」(はらみった)。もう一つ、意味で訳したのが「到彼岸」と言うことになります。今我々が住んでいる現世・濁世「此岸」(しがん)から向こうの世界「彼岸に至る」と言うことで「悟りの世界」と言うことになります。これは、本来仏教で使われる言葉ですが、何故か季節や時候の言葉として使われるようになっています。では、何故季節の言葉として使われるようになったのでしょうか?それを知るには、『日本後記』と言う、平安時代初期に嵯峨天皇の命により編纂された勅撰史書、延暦11年(西暦792年)~天長10年(833年)の約42年間の公式記録の中に手掛りがあるようなので、ほんのちょっとだけ抜き出してみます。

 『日本後記』

《卷一逸文(『日本紀略』)延暦十一年(七九二・西暦792年)六月癸巳【十】》癸巳。皇太子久病。卜之祟道天皇爲祟。遣諸陵頭調子王等於淡路國、奉謝其靈。 

《卷一逸文(『類聚國史』二五追號天皇)延暦十一年(七九二)六月庚子【十七】》庚子。勅。去延暦九年、令淡路國充某親王〈祟道天皇〉守冢一烟、兼隨近郡司、專當其事。而不存敬衞、致令有崇。自今以後、冢化置隍、勿使濫穢。

《卷一逸文(『日本紀略』)延暦十一年(七九二)六月乙巳【廿二】》乙巳。雷雨。潦水滂沱。式部省南門爲之倒仆。

《卷十三大同元年(八〇六)三月辛巳【十七】》。・・・略・・・。奉爲崇道天皇。令諸國國分寺僧春秋二仲月別七日。讀金剛般若経。有頃天皇崩於正寢。・・・・以下略・・・。 

 膨大な量がある文書の中、僅か四か所ほど抜き出してみました。たったこれだけなのですが、この中にとっても重要なことが書かれていますので、少し説明してみます。

 西暦781年、奈良の都平城京で天皇に即位された桓武天皇。奈良は仏教勢力が強く、色々煩わしいことがあるので遷都したいと考えます。側近中の側近中納言藤原種継(たねつぐ)さんに相談し、彼を遷都のプロジェクトチームの長官に任命します。種継さんは長岡京の場所を選定し、そこに都の造営を開始します。西暦784年、まだ造営途中でしたが桓武天皇は遷都を強行します。その翌年、都の完成間近に種継さんは暗殺されてしまいます。遷都に反対していた抵抗勢力の仕業だと、数十名の者が捕えられ厳しい処罰を受けます。桓武天皇の弟で皇太子の早良(さわら)親王もその一味だと捕えられ幽閉されます。早良親王は奈良の東大寺で出家した事があるので疑いを掛けられました。早良親王は無実を主張しますが聞き入れられず流刑が決まります。淡路島が流刑の地になり、そこに移送される途中、逝去されたようです。言い伝えでは冤罪を訴え食事を拒否され餓死されたそうです。桓武天皇には三十代後半以降にお生まれになった親王が何人かおられますので、天皇や皇后にすれば我が子を皇太子にしたいという思いはおありだったでしょうから、この事件は都合が良かったかも知れません。我が子を皇太子に立てました。ところが、早良親王の死後不可思議なことが続きます。天皇の妃が亡くなります。今でいう側室のようです。そのすぐ後に、もう一人の妃が亡くなります。翌年に生母が亡くなります。その後夫人の皇后も亡くなり、もう一人妃も亡くなります。たった三年の間に近親者が5人も亡くなります。その後、皇太子に立てた親王が急病になります。更に、大飢饉に見舞われたり、雷雨・大雨洪水により式部省南門が倒壊したと書かれています。たった10年の間に長岡京は二度も水害に見舞われています。これは祟りに違いないと廻りの者は皆畏れます。そこで、又遷都することになります。次は京都に都を移します。平安京は怨霊から都を守るように、ぐるりと神社やお寺が建てられます。そして、亡くなられた早良親王に崇道(すどう)天皇の称号を追称し、諸国の国分寺の僧に春と秋の中ほどに二度七日間金剛般若経を読ませるように命じられたとこのようなことが先ほどの文章に書かれていた箇所です。

 平安時代は末法思想が流布した時代。お釈迦様の死後千年が正法(教えが正しく伝わっている)。その次の千年が像法(形は残っているが教えは廃れている)。そのまた次の千年が末法(形も教えも無くなっている)。[正法・像法・末法の期間に付いては諸説あります]。今は末法の時代に入ったので、世の中が滅ぶか何が起こるか解らないと衆生は不安に駆られていました。平安時代は天変地異が相次ぎ、飢饉・大風(台風)・大雨洪水・地震、その他戦や盗賊などに庶民は苦しめられました。この時代に浄土教思想が広まります。今生は苦しみばかりなのでせめてあの世、極楽浄土に行って幸せになりたいと言うのが庶民の切なる願いになります。阿弥陀如来の持つ世界が西方極楽浄土。春分・秋分の日は真西に太陽が沈みます。あの太陽が沈む向こうに極楽浄土があるのだと言う庶民の思い。それに、先の七日間の供養が結びつき、春分・秋分の日を挟む七日間が彼岸会となり、やがてそれが庶民の間に広まりお彼岸と呼ばれる行事になったのではなかろうか?と言うのが一つの有力な説です。
 こういう物には必ず諸説ありますと言うことなのですが、民俗学を研究しておられる学者さんは、これは、もっと古い大和民族の習俗からきているものだと言う説を唱えておられます。ただ、春と秋の二度、しかも七日間も行うなど、中々説明の付かないところがありますし、資料と言うようなものは何もないのが難しいところです。それで、先に述べた説が資料的にも大変有力と言うことのようです。

 彼岸の中日は年や時代によって多少動いていたようなのですが、江戸時代天保14年(西暦1844年)彼岸の中日を春分・秋分の日とし、前後三日間づつ七日間とすると正式に定められたようです。

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 さて俳句にいきますが「彼岸」は春の季語。基本季語として大きな季語。彼岸だけだと時候の季語になりますが、色んな季語を含みます。傍題に、彼岸会・万燈日・入り彼岸・さき彼岸・初手(そて)彼岸・中日・彼岸参・終い彼岸・彼岸ばらい・彼岸寺・彼岸太郎・彼岸団子・彼岸講・彼岸前・彼岸過・彼岸舟・彼岸道・彼岸姿、などがあります。
 まず、江戸時代の俳句を見てみましょう。

  何迷ふ彼岸の入り日人だかり  鬼貫
 
上島鬼貫(1661年~1783年)江戸中期の俳諧師。伊丹郷の酒造業者の三男に生まれる。後に「東の芭蕉、西の鬼貫」と称されたらしい。芭蕉より約17歳年下。現代の俳人に人気の高い俳人。

  曇りしが降らで彼岸の夕日影  其角

  命婦よりぼた餅たばす彼岸かな 蕪村   
 命婦(みょうぶ)とはあまり聞かない言葉。調べてみると、1:古い律令制で五位以上の女官を内命婦(ないみょうぶ・うちのみょうぶ)・五位以上の官人の妻を外命婦(げみょうぶ・げのみょうぶ)。2:平安中期以降中級の女官や中臈(ちゅうろう)の女房の称。3:中世稲荷明神の使いとされる狐の異称、と書かれている。「たばす」とは、動詞「賜ぶ(たぶ)」の未然形+尊敬の助動詞「す」。ここから察すると、宮仕えされているやんごとなき奥方よりぼた餅を頂いたと言うようなことでしょうか?

  我村はぽたぽた雪のひがんかな  一茶

 明治以降の俳句を見てみます。冒頭に載せた子規の俳句。

前書「母の詞(ことば)自ら句となりて
  
毎年よ彼岸の入りに寒いのは  正岡子規 
 「そうそう、解る解る」とついつい思ってしまう句。この句には前書が書かれているのですね。お母様のつぶやきがそのまま句になっている。親子の会話が想像されて面白い。もうすっかり伊予訛は消えていたようです。俳句とは難しいことを書くのではなく、このように思わず口をついて出た言葉が句になるものです。口語俳句も楽しいですね。明治期にこのような口語で作られているので、当時としてはぶっ飛んだ俳句だったのではないでしょうか?

  山寺の扉に雲遊ぶ彼岸かな  飯田蛇笏

  竹の芽も茜さしたる彼岸かな  芥川龍之介

  輪を描いてつきゆく杖や彼岸婆  河野静雲
 河野静雲(こうのせいうん)、1887年(明治20年)~1974年、時宗の僧。福岡県太宰府に花鳥山仏心寺を創建。高浜虚子に師事。俳誌『冬野』主宰。彼岸会にお参りをされたお婆さんが帰っているところでしょうか。少し腰は曲がっているがまだまだ元気なので、杖を後ろ手に持ち歩いて帰っているのでしょう。その杖が左右に揺れているのが、輪を描いて付いて行っていると言うのがユーモラスで面白いですね。

 現代の俳句も見てみます。

  夕日いま眉にとどまる彼岸かな  岡本眸
 1929年1月6日生まれ~2018年9月15日没。とても品のある素晴らしい俳人でした。美しい夕日に眸氏の優しい眉が思い出されます。私はテレビや写真でしか拝見したことはないのですが、とても素敵な方でした。[温めるも冷ますも息や日々の冬  岡本眸] これは私の大好きな句です。

  目瞑ればふるさとの景彼岸潮  愛知県岡崎市 山田草風
2017年HAIKU日本 春の句大賞金賞句。

  彼岸桜どちらにまわりても鎖  谷さやン
俳号が変わっていますね。「さやン」とは本名が「明子」で(さやこ)と読むようです。さやこと平仮名書きしていたのでしょう。ところが、どなたかが間違って「さやン」さんと誤読した。それは面白いとそこから俳号にされたようです。彼女の句集は「谷さやん」となっています。夏井いつき氏黒田杏子氏に師事。
「彼岸」は春の時候の季語ですが「彼岸桜」は植物の季語。とても面白い句なので載せてみました。一読して「その通り」と思わず納得してしまいます。桜の木の根っこが踏み固められて息が出来なくならないように鎖で囲って守っている。それから、酔った人がおしっこをしないようにもね・・・。

  彼岸桜条里見下ろす古墳群  照れまん

「彼岸桜」は春の季語ですが、「彼岸花」は秋の季語になります。それで、一句。

  往く雲を見送るばかり彼岸花  照れまん、
以前にも載せたことがあるのですが、数年前に母が亡くなった時に詠んだものです。
 それから、秋の彼岸は、俳句では「秋彼岸」と書きます。

 彼岸に戻って、もう一つ拙句を・・・・。

  彼岸寺終着始発絹の道  照れまん

 この私の俳句を見た写真班が「この辺りは昔、養蚕が盛んだったけど、絹の道ってどこの道のことを言うん?」と聞くので、「これはシルクロードのことよね。正倉院よねえ」と言うと、「エー!うそーホント!信じられん。俳句ってさっぱりワカランねえ?」と言う。「別に正倉院でなくても、普通のお寺でもいいよ。仏教はシルクロードを通りインドから中国を経て日本に来たじゃろう。末寺が終着点じゃけど、お寺はそこから色々文化の発信地にもなった。じゃから始発駅でもあるのよね」と言うと、「ナルホド~!」と感心している。「俳句を説明せんと解ってもらえんかったら、駄目句と言うことじゃし、俳人とは言えんよね。エセ俳人じゃけえね。まあ今は廃人じゃけどね!」と言うと、二人で顔を見合わせて笑った。(★∪×)

この記事は、3年以上前に書いていましたが具合が悪くなり、入退院を繰り返したりして俳句もブログも止めってしまっていたのでそのままになっていました。最近は少し体調もいいし散歩も出来るようになってきたので、ブログの下書きを眺めたりしてました。久し振りに見る自分の俳句も文章も下手ですね。恥ずかしくなってしまいます。この記事は自分の知識ではないし、色んなサイトを参考にしコピペさせて頂いたものなのでこのまま没にしようかと思ったのですが、もったいないような気もするし、思い切ってアップすることにしました。何度か読み返し、文章や誤字脱字を直したりして、やっとアップに漕ぎ着けました。
 私は学者でも俳人でもないただの俳句愛好者なので、ここには間違いもあろうかと思います。ですから、そこのところはご容赦願います。読み流して下さい。間違いがあれば書き直しますので、そこんところヨロシク・・・。

  部屋隅に母の衣桁や入彼岸  照れまん

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俳句歳時記 「彼岸」 への11件のフィードバック

  1. kerocatcyan より:

    照れまんさん!おはようございます。
    そして、お久しぶりです。今、お名前見かけて嬉しくて、ザア~と拝読させていただきましたが、また家事後じっくり拝読させていただきます。お身体回復に向かわれていらっしゃるご様子。何よりです(^.^)

    • 照れまん より:

      Kerocatcyan さん おひさしぶりぶりぶりっこの照れまんです。
      ケロちゃんはお元気そうで何よりです。
      昨年は私の島は大変でした。
      大島大橋に 貨物船が激突したりして、水道管が破断。断水でみんな大弱りでしたが、我が家は井戸があるのでトイレと洗濯は困りませんでした。飲料水は2リットルのペットボトルを買ったり、保育園の保母さんたちが給水所まで取りに行ったりして何とかしのいでいました。近所の人が洗濯をさせてと来ていましたが、、我が家には全自動と古い二層式の洗濯機があるのですが、水道が使えないので、古い二層式の方が大活躍していました。一か月ちょっとで仮復旧しましたので、何とかなりました。
      そんな感じでしたが、私は寝ながら眺めているだけでした。
      返信が遅くなって申し訳ございません。
      久しぶりにケロちゃんんお声が聞けて大喜びしています。

  2. saganhama より:

    こんばんは(^^)
    俳句歳時記「彼岸」しっかりと読ませてもらいました。ですが、私の能力では凄い大作だなと言う感想しか浮かんできません。この世界には疎い者なのでなるほどと頷くだけが精一杯です(⌒∇⌒)
    体調の方、回復方向にあると云う事でホッとしました。ブログはこれからも無理せず、のんびりと続けてください。

    • 照れまん より:

      saganhama さん 御無沙汰 さたさた サタデーナイトフィーバーしてない 照れまんです。
      3年も休んで仕舞っていると、すっかりブログの書き方やいろんなことを忘れてしまっていて、大変、ってなことで あきらめかけている照れまんです。
      寝ている間に 足腰も弱って仕舞い、ちょっとしたことで ひょろける始末です。
      ハマさんご夫妻はとてもお元気なようでgooです。 あちこちの旅行記は写真を見せて貰って、自分も行った気になったりしていました。
      昨年夏に 島に帰省した男の子が行方不明になりましたが、スーパーボランティアの尾畑さんが発見してちょっと話題になりました。大島大橋を渡ると左に曲がると国道ですが、右の方に行ったところの3つ目くらいの集落での出来事でした。
      そういうことで、また ヨロシクお願いします。

  3. haw小太郎 より:

    こんばんは^^。
    oh!記事が変わっちょる@@@たった今気付きましたよ^!^
    でもこれ3年前の書きかけの記事なのね~、ようやく陽の目を見れて何よりですの~^^。
    また今度じっくり読みます。とりあえず、よかったよかった。

    • 照れまん より:

      小太郎さん 金かいねえ?銀かいねえ? どうかいねえ。
      いやはや、ほんと、お久しぶり!
      君の実家の前の海だけどね。すごい大きな堤防が出来てるみたいよ。テトラポットも置いたみたいだし、もう 颱風が来ても大丈夫だよ!
      なんて思ったら、ほとんど 空き家ばかりになっている。
      ところで、体の具合はどう??
      気を付けながら、無理をしないように。
      あっ、それから もう一つ記事の書きかけがあるんだけど、これは当分ものになりそうもない。相当に書き変えなければならない感じ。
      ほんじゃ、また ヨロシク・・・。

  4. Puuwai より:

    照れまんさん おひさしぶりぶりぶりっこです。どこかで聞いたようなひびき!
    照れまんさんと同じ位ブログをお休みしているpuです。
    私は鬱魔に魅入られた気分テンションが落ちてしまって書けなくて。
    そのうちに、、、、がどうやら本当に面倒になってしまった。

    いやぁ こんな大作 しかも解り易く読みやすい。照れまん節健在やねぇ。
    散歩ができるようになったなら、又、大島の花々に会えるかねぇ。気長に待っています。

    • 照れまん より:

      pu’uwai さん お久しぶり~~~!
      お元気ですか、元気ですか お支払いは現金ですか~~~?
      随分 休んでしまいました。俳句もブログも止めてしまっていたら、もう一度ブログを書こうと思っても、億劫で億劫で たいぎいので止めとこうなんて思っていたのですが、
        鳴かぬなら 鳴くまで ボーっと生きてんじゃねえよー!! って誰かに叱られそうなので、ちょこっとずつ 見たりしながら・・・・。昔の俳句をひっぱり出してきたりして、何とか一つだけ記事をアップすることが出来ました。
      pu’uwaiさんの方は どうですか、フラは如何ですか?
      こちらは、今年の冬は暖かくって、一度も氷が張る日はありませんでした。そのせいか、風邪薬を一度も飲まなかったのが奇跡でした。毎年風邪薬は医院でもらったり、市販薬を飲んだりしていたのに、今年はどうしたのか、無事に冬が越せました。
      そういうことで、また ヨロシク お願いします。

  5. 小雪 より:

    お元気のようで、安心しました。

    私も、昨年の5月に脳動脈瘤の手術をしました。今年の秋、また行いますが、春が来るとじっとしていられなくで、今朝は新しくできた食パンの専門店に行って来ましたが、買えず、整理券をもらって夕方買えました。
    4枚くらいで千円です!
    それはないだろう?と思いつつ、最近はこうした専門店が増えて、友人と足を運ぶのが楽しみです。

  6. 照れまん より:

    小雪さん こんにちワッフル!
    脳動脈瘤の手術をされたのですか。大変でしたねえ。でも、こうしてコメントを書かれたり、お買い物にも出掛けられるようなので、良かったです。
    名古屋に住む私の姉が4~5年前に川崎市の病院で脳動脈瘤の手術を行いましたが、今でもピンピンしています。手術直後に横浜に住む安高時代の同級生が見舞いに来てくれたなんて、喜んでいました。関東にはいい病院が沢山あるので、安心です。
    最近のパン屋さんとケーキ屋さんは美味しくなりましたねえ。こちらの田舎でも、個人のパン屋さんが開店したりしていますが、こんな過疎の島でやっていけるのかと、ちょっと心配です。
    今朝、4月4日はとてもいい天気で、朝から鶯が良く鳴いています。昨日は裏で雉が鳴くので窓から見ると、畑に居るのでそろ~と窓を開けて写真を撮りました。距離約10m。ベッドの上から撮れたので、クッキー・ポッキー・ラッキー ってな感じでした。
    ところで、麗環 れいわ だったら、「難しくて書けない、ハズキルーペを出せ~」なんて言えたのに??
    令和 でしたね。
    そんなこんなで、老眼鏡が手放せない 照れまんでした。またヨロシク~~。

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