登ってるはずが下りの四十路坂 照れまん
この句は、私が40代になった頃に詠んだ句です。1992年8月20日の日付が毎日新聞の切り抜きに書かれています。
1980年から1990年代初め頃、ずっと入院してました。その頃面白半分で作っていたものです。
遊ぶ田に遊ぶ子供の姿なく 照れまん
軽トラで神輿を運ぶ村祭り 照れまん
雨の日も晴れの日もなし池の鯉 照れまん
苦しい時祈ったことをもう忘れ 照れまん
部屋長は古参患者の元気者 照れまん
天花粉塗られて笑う孫と爺 照れまん
結婚をしてちょうだいと親頼む 照れまん
話し合いしたから憎み合うことに 照れまん
最後の一句。
毎日新聞「万能川柳」秀逸、1992年4月1日掲載。そして1992年5月25日「万能川柳・月間大賞」として掲載されたもの。
生きるには弱く死ぬには元気すぎ 照れまん
私は若い頃、音楽家をしていました。それで、音楽家の友人が多い。そんなことから入院中に音楽家の友人から手紙が来ました。その中に友人が「音楽家を続けるには下手だし、辞めるにはうまいし、困ったもんです」などと書かれていました。これは面白いと自分のことに書き替えたのがこの句。御陰様で、この句で賞を頂きました。ありがとう!!
友人の方が面白い(◎∪☆)!! 笑っちゃいます・・・。
そんなこんなで、お目汚しをしてしまいました。そういうことで、また・・・・。