「山笑う」・「山滴り」・「山粧う」・「山眠る」は俳句の季語。四季それぞれの俳句の季語です。
「山笑う」は春、「山滴る」は夏。「山粧う」は秋、「山眠る」は冬です。とても素敵な魅力的な季語ですが、比喩なのでちょっと解りにくいかも知れません。
これは、中国人のたった一人の画家さんが絵を描く心得として述べた詞(ことば)なので無理はないかも知れません。
そこで、この中から春の「山笑う」だけを取り上げて、ちょっとクイズをしてみたいと思います。
クイズ「百人に聞きました」ではありませんが、私の周りにいる俳句を全く知らない友人・知人10人に聞いてみました。
【クイズ・10人に聞きました】
問い:「山笑う」という言葉を聞いて、あなたは、この言葉は四季の内、春・夏・秋・冬のどれが一番ふさわしいと思いますか?
答え : 1位「夏」4人。2位「春」2人、「秋」2人の同率2位。4位「夏のような気もするし春のような気もするし秋のような気もするし、どれでもいい感じ」が1人。そして、同率4位「ワカラン」という人が1人でした。
実は私も俳句を始めたばかりの頃「山笑う」という季語を知らなかったので、いつの季語なんだろうと考えたことがあります。おそらく、一番ふさわしいのは夏ではないかと思ったりしました。夏は蝉がミンミン鳴いていますし、小鳥がよく囀っています。それに葉っぱがキラキラと輝いています。
それで、「これは日本の夏でしょう!」と思ったものです。しかし、残念!!違ってました。春でした!!
それではこの季語になっている言葉の元の文章を載せてみたいと思います。
中国宋の時代の後半、呂祖謙さん(1137?~1181年)と言う人がいました。この人が宋の時代の多くの書物を纏めた『臥遊録』を編纂します。この中に郭思さんの書いた『林泉高致集』が入っています。この中に郭思さんのお父さんが言っていた詞(ことば)として『山水訓』が遺されています。
郭思さんのお父さんは、宮廷画家 郭 煕 かくき(1023~1065年)さんです。
『林泉高致集』の中に父が絵を描く心得としてこんなことを言っていましたと言う詞(ことば)書きが書かれているのが『山水訓』です。
『臥遊録』は郭熙さんの死後100年後くらいに編纂されています。
要約すると、呂祖謙さんの纏めた『臥遊録』の中に、郭思さんの書いたの『林泉高知集』があり、その中に郭思さんのお父さんの言ってた詞が『山水訓』に載っていると言うことになります。それで、その中のほんの一文を載せてみます。
『山水訓』の中の重要な部分だけ。
春山淡冶而如笑, 夏山蒼翠而如滴, 秋山明淨而如粧, 冬山慘淡而如睡
読み下し文:春山は淡冶にして笑うがごとし、夏山は蒼翠にして滴るがごとし、
秋山は明浄にして粧うがごとし、冬山は慘淡にして眠るがごとし。
淡冶(たんや)=あっさりとしてなまめかしいさま。蒼翠(そうすい)=樹木が青々と茂っているさま。明浄(めいじょう)=澄み切って清らかなさま。惨憺(さんたん)=暗い空模様や悲惨とか惨めなさま。
とても素晴らしい詞(ことば)です。おそらく江戸時代の文学者や俳人がこれは素晴らしいと季節の言葉とし、季語にしたのでしょう。
その他に郭熙さんの『山水訓』の中にこんな詞もあります
春山烟雲連綿人欣欣,夏山嘉木繁陰人坦坦,
秋山明浄搖落人肅肅,冬山昏霾翳塞人寂寂。
こちらの方は見事な漢詩になっています。しかし、殆ど読まれることはなかったのでしょうか?こちらの方には読み下し文が書かれていません。
画家郭熙さんのことを調べていると色々こんがらがっているので少し説明します。例えば、真宗の画家、神宗の画家、禅宗の画家、などと書かれたものもあります。これらはちょっと間違いもあるので説明が必要です。
これは、宋の第六代神宗(しんそう)皇帝のことで、神宗皇帝に寵愛された宮廷画家です。第三代皇帝に真宗(しんそう)皇帝もいますので、誰かが間違ったのかこんがらがっています。神宗や真宗とあるので学者さんが勝手に忖度し、禅宗の画家としたのでしょう。雪舟などは禅宗のお寺で修行した画家ですから。おそらく、勘違いと忖度で、禅宗としたのだと思われます。
正しく書くと、第六代神宗皇帝に遣える宮廷画家でした。
郭熙さんは、当時とても有名な画家で皇帝が特別なポストを作り、自由に書かせていたようです。革新的な絵を描き、後生に多大な影響を与えたそうです。しかし、それほど有名な画家でありながら、その作品は今は殆ど残っていません。僅かに1072年郭熙さんの書いた『早春図』が台湾の故宮博物館に残っています。その他は、メトロポリタン美術館など、数点しか無いようです。
何故絵が残らなかったかというと、宋の第八代徽宗(きそう)皇帝。彼は第六代神宗皇帝の息子になります。どういうわけか父とそりが合わなかったのか、郭熙さんの絵が嫌いだったのか、第八代徽宗皇帝は郭熙の絹本水彩画をすべて外させ、雑巾にしたと言われています。
それからもう一つ、とんでもないことが起こります。第八代徽宗皇帝は隣の「金」との争いが絶えず、早々と長男に皇帝の座を譲り退位します。第九代欽宗皇帝が即位して間もなく、隣の女真人(満州族)の国「金」に攻められて首都である開封が陥落し、皇帝や皇后など大勢の人が捕虜となり北に連れ去られました。この後、欽宗皇帝の9男が別の地にいたので助かり南に逃れて、南宋を建国します。以後、北の方を北宋と呼びます。金は開封の宮殿や街で略奪し。莫大な金銀財宝や調度品などめぼしい物は殆ど満州のハルピンに持ち去ります。その時、荷車がハルピンに着いたときには、まだ開封を出る荷車があったと言うのですから、おびただしい莫大な物品が略奪されたようです。
荷物を運ぶ途中、兵士達は煮炊きをしますが、その時炊事の焚き付けととして、水墨画など紙の多くが燃やされたそうです。惜しいですね。
そんなことから、宋代の物は多くが失われてしまいました。
そして、もう一つとんでもないことが起きます。それは、金がモンゴルに滅ぼされ北宋はモンゴル領になります。朝鮮もモンゴに滅ぼされます。ここで、第一回目の元寇「文永の役」(1274年)が行なわれ、モンゴル・朝鮮・女真人・契丹なの連合で日本に攻めて来ます。
その後、モンゴルは「元」となります。元は「南宋」も滅ぼし、南宋の海軍や軍隊を大量に動員し、二度目の元寇、弘安の役(1281年)を行ないます。
弘安の役では台風がやって来て、モンゴル連合軍は全滅したと言われています。
「金」の首都はハルピンでしたが、後半南の燕京に移しています。その後モンゴルが支配するようになり「元」も燕京を首都にし大都としました。燕京(大都)が現代の北京です。これは外国の首都でした。
中国史の好きな人は、南宋時代に有名な武将岳飛(1103~1142年)を思い出すでしょう。何度も金を打ち破っています。関羽と並び中国で最も人気のある武将です。「金」との講和に邪魔な岳飛に罪をかぶせて牢屋に入れ殺害したのが宰相の秦檜(しんかい)です。秦檜は「金」におもねて南宋の要人を次々殺す恐怖政治を行なっています。それで、中国で最も嫌われる政治家、売国奴として有名な人物です。
中国史って本当に面白いですね。
さてさて、ここは俳句のサイトなので、ぼつぼつ本題の俳句にいきます。
ーーー山笑う・山滴る・山粧う・山眠るーーー
⚫「山笑う」は春の季語。「山笑ふ」と、春の山を笑うがごとしと喩えた。言い得て妙。実に面白いし素晴らしい比喩です。
福来たる門や野山の笑ひ顔 一茶
故郷やどちらを見ても山笑ふ 正岡子規
炭鉱の地獄の山も笑ひけり 岡本眸
頂きに大巌を載せ山笑ふ 照れまん
山笑ふ出来ちゃった婚是非もなし 照れまん
⚫「山滴る」は夏の季語。実は「滴り」だけで夏の季語になりますので、山を書かなくても良い。傍題に「涓滴・けんてき」「巌滴り」[苔滴り」「山滴り」があります。
滴りの涙こらへるやうに落つ 鷹羽狩行
山滴るコロラトゥーラ鳶の声 櫻井康敞
山肌に袈裟懸けの道滴りぬ 照れまん
⚫「山粧う」は秋の季語。傍題に「山彩る」「粧う山」があります。
老眼始めて明らかに山粧へり 尾崎紅葉
赤を黄を寺にも分かち山粧ふ 鷹羽狩行
スプリングエイトの囲む山粧ふ 川崎光一郎
スプリングエイトって何?・・・と思って調べてみました。
SPring-8、 S とP は大文字.。Super Photon ring-8。スプリング8 とは、兵庫県佐用郡に日本原子力研究所と理化学研究所が共同で建設。電子を加速・貯蔵するための加速器群と、発生した放射光を利用するための巨大な実験施設。一周1436メートルの巨大なリング。中央は緑の小高い一つの自然の山になっている。赤穂の北の方。その山が秋の装いになっているのでしょう。現代的な句です。
⚫「山眠る」は冬の季語。傍題に「眠る山」がある。
硝子戸にはんけちかわき山眠る 久保田万太郎
缶コーヒー膝にはさんで山眠る 津田このみ
津田このみ(1968年生まれ、1996年より句作始める)缶コーヒーは日本の発明。しかも、温かい缶コーヒーが買えるのは日本だけですよね?
金銀銅すべて吐き出し山眠る 照れまん
以上、四つの季語を載せました。
それぞれ素晴らしい季語です。
「山笑う」は初めに知った頃は、たった一人の中国人が言った詞を、日本全体でそう思わなければならないことにちょっと抵抗がありました。何となく違和感があり、「それでいいの?」なんて思っていました。しかし、長く俳句を続けていると、段々と「山笑う」は春がいいなと思うようになり、いい季語だと納得するようになってきました。そして、今ではとても気に入っていて、これはとても面白いし、いい比喩だなあと感激しています。
「郭熙さん、素晴らしい詞を遺してくれて、ありがとう(◎∪☆)!!謝謝」
山眠るその懐に臥すことも 照れまん
久しぶりに俳句の季語を書くので、ちょっと緊張しました。間違ったことを書くといけませんから・・・。実はこの四つの季語については七~八年前に書きかけていました。しかし、パソコンが駄目になって新しいパソコンに買い替えたら、それらの記事が何処に行ったのか解らなくなってしまって・・・。それで、今回新しく書き始めました。
「季語」の記事を書くのは難しいし責任があるので、ちょっと躊躇します。ですけど、やっぱり楽しいし、心がリフレッシュします。本当に「季語」っていいなと思います。
そういうことで、また・・・・。